はじめてレースに興味を持ったころ

 もともとレースに興味を持ったのが、1983年(小学校5年のとき)だったんです。オヤジさんが、昔自分でレースをやるほど好きだったんで、子供の頃から、「AUTOSPORT」とか、「Car Graphic」とかが家に転がってたんですね。で、これを見るようになりまして、最初に興味を持ったのが、長谷見選手の乗るスカイラインのシルエットフォーミュラ(グループ5)で、そこからスカイライン、そしてレースにものめり込んでいきました。その中で、自然と星野選手を応援するようになっていきました。
 あれは確か、その1983年、まだ全日本格式などない、富士の耐久レースがありまして(この年からグループCが出場できるようになった)、第1戦が500km、第2戦が1000km、第3戦が500マイル(約800km)の全3戦だったんです。実はこのレースに、ワタシのイトコが出てまして、父に連れられて、ピットまで入って見てました。第1戦では、名機ポルシェ956と、日産が苦しまぎれにグループ5を改造して出場させた、スカイラインターボCというクルマが出ていて、特にそのスカイラインは、世にも珍しい、FRのグループCカーだったんです。


主宰(小学校5年生)とスカイラインターボC
主宰の右横に見えるのが、ドライバーの長谷見昌弘

 その時、はじめて有名人にサインをもらったのが、この長谷見昌弘選手だったんです。ありがとうございます。
 続いて第2戦には、とうとう星野選手も出ることになりまして、それが「シルビアターボC」って、どこがシルビアやねん!っていうくらい、どこにもシルビアの面影がないマシンでした。ライトに上の部分に、当時のシルビアのヘッドライト部分が絵で描いているだけなんですよ。


主宰:小学校5年生当時
後ろの車は、星野/萩原光がドライブした「シルビアターボC」

 これと、柳田春人ドライブのフェアレディZ−Cというのまで出てきて、そのままグループ5を耐久レースに移植しただけやんけ!状態でした。


フェアレディZ−C

 これらのクルマが、これまたひどいのなんのって・・・耐久レースなのに、スプリントの距離も走れない代物でした。まぁここから、黄金時代の礎になるんですけどね。

(01/6/8)


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